キミは誰の子なんだ~おバカな父ができること~

どうも。

そらまめ隊長です。

長男の天才性に気付いたのは幼稚園の入園式の時でした。

黒板に書かれていた平成の文字を『へいせい』と読んで、周りの親御さんたちが驚いたことに、妻も私も驚きました。

一人目の子供を持った親は誰でもそうだと思うのですが、自分の子供の知力がどの程度にあるのか比較対象がいないと分かりません。

それまでも数を覚えるのが早かったり、何でも数字で表現したりしていたので、数字は好きみたいだなと漠然と考えていました。

ママは100円!

パパは10円!

と、私たちに謎の値段を付けてケタケタ笑ったりしていました。どういう意味やねん

 

その後、地域の知能検査などを受けたり、幼稚園でお友達と遊んだりしてるうちに、

うちの子が圧倒的に計算能力や記憶力が優れていることが分かってきました。

アレ、俺の息子。

おバカな父親でしかない私は、どこへ行っても鼻を高くしていました。

勉強に限っての無双状態は小学校へ行っても続き、4年生で塾へ行ってからも怖いものなし。

模試や中学受験対策用の試験を受けても、たいていトップ3には入っていたので、ますます将来が楽しみになりました。

 

でも、

 

よくよく考えてみたら、父親の私が彼の才能に貢献したことなんてほとんどないんですよね。

中学受験に成功した時は、それはもう泣いて喜びましたが

参照 ブログを書くにいたるまで その①

お前が泣いて喜ぶとか筋が違うんじゃ、

という話です。

親というものは勝手なもので、すぐに子供に自分の夢や信念を投影しようとしてしまいます。

子供をダシに使って自分の過去に復讐しようとするんです。

私は間違いなくそんな感じでした。

自分の人生が失敗だらけだったからって、それは息子にはまったく関係のない話。

息子の合格を、久しく縁遠かった親戚に自分の手柄のように話したり、今思うと自己嫌悪でしかありません。

 

確かに、息子の持っている能力が発揮出来るような環境を作ろうと気は遣ってきたつもりだし、

経済力がないせいで彼の進路を妨げてしまってはいけない、と常に考えながら仕事はしてきました。

でも、一番頑張ったのは勉強した本人と、私よりずっと近くでサポートしていた妻なんですね。

それこそ彼を天才だと呼ぶのは失礼なぐらい、きっとたくさんの努力もしていた筈。

受験とは関係のない小学校の宿題もきっちりこなしていたし、

平日は放課後に5時間、土日はほぼ丸一日、塾に缶詰でも辛いとは言わなかった。

小学生の私が彼の立場だったら、きっと気が狂って逃亡してたはず。

そういうところをちゃんと見てあげないといけないのに。

私は考えました。

もし仮に、息子が自分でなく他人の子供だと思って一緒に生活してみたら果たしてどうだろう。

中学受験の合格も、もう少し冷静になって違う見方が出来たかもしれないし

普段の生活で何か出来たことに対して、もっと大いに喜んであげたり、ミスをやらかしたことにも冷静に対処できるのではないだろうか。

毎日他人の子を預かっているという緊張感があれば、もっと適切なアドバイスををたくさんしてあげられるかも知れません。

いくら毎日脱いだ靴下を裏返したままほったらかしだったり、給食袋を出すのを忘れても、

それ以上に良いところを見つけられるかもしれません。

 

思えば私の人生は、目の前にある当たり前の幸せに感謝するのを忘れてしまい、数々の失敗をしてきました。

要するに調子ノリなんです。

風邪をひかないと普段の健康の有難みが分からないのと同じで、大切なことがすぐに見えなくなってしまう。

たまに痛い目に合うまで、同じことばかりを繰り返してしまいます。

特に親が力を入れすぎなくても、子供は勝手に育つもの。

毎朝息子を見る度に、キミはいったい誰の子なんだ、というぐらいの気持ちで、

常に感謝と新鮮さを思い出すようにしたいです。

そして、あまり子供の動向に感情移入しすぎないように、

お前はお前の人生を生きろ。

間違っても子供がすべてです、とか言うなよ。

自分にそう言ってやりたいです。

 

本日は以上です。

ありがとうございました。

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