どうも。
そらまめ隊長です。
今回はダメパパの独り言です。
夢なんていらない。
ということについて。
子供たちにはよく目標を持って、とか、夢に向かって頑張れ、とかい言います。
ダメパパの僕にとって、そのような煽られ方には苦い思い出しかありません。
何故か。
夢とか将来本当に自分が何をやりたいか、なんて簡単には見つかる訳がないからです。
にも関わらず、学校などではことあるごとに子供たちに『将来の夢』についての作文を書かせたりします。
あんまり聞かれるものだから、まるで夢がないことが悪いことかのような気になり…
仕方なくそれが本当に自分に合ってるのかどうかも分からないまま無理やり自分の夢をひねり出します。
そしてそのうち、自分の夢は〇〇〇になることなんだ、と脳が錯覚して…
挙句どこかで人に聞かれるたびに、誇らしげに自分の夢を語るようになってしまいます。
これ、大きな罠だと思います。
私は大学を卒業するかしないかぐらいの頃から、プロのミュージシャンになることが自分の夢だと思い込んでいました。
そうやって言えば誰の耳にも聞こえはいいし、もしかして夢が叶えば確かにそれは誇らしいでしょう。
音楽はもちろん大好きでした。曲を作るのも歌うのも。
そしてどんなに落ち込んだ時も自分の心の中を表現出来る唯一の拠り所でした。
でもそれを生活するための職業にするとなると全然話は別です。
締め切りに追われるかのように、何曲も何曲も人に喜ばれる曲を書かないといけないというのは苦痛でしかありませんでした。
そのうちに判明しました。
プロのミュージシャンになるというのは自分の心の声ではなく…
ただ単に普通に就職することから逃げたい、周りをあっと驚かせたい、という理由が先にあって、それが出来るのなら別にミュージシャンじゃなくても何でも良かったのだと。
当然そんな理由ではモチベーションなど持続しません。
まやかしの夢に向かって頑張った結果どうなったかは既に述べた通りです。
10年間無駄だったとは言いませんが、出来れば子供には同じ真似はさせたくないです。
もちろん本当にやりたいことがあって、その夢に向かってがむしゃらに努力する姿は美しいです。
でもその反面、周りから期待され、きらびやかな世界に憧れ、自分のキャパ以上のものを求め、苦しむ。
そんな事例もたくさんあるような気がするのです。
そんな父親の悪影響か、長男はいまだに自分の夢が何かを口にしたことがありません。
医者や弁護士、スポーツ選手などなど。
小学校の卒業式で周りの子が意気揚々と様々な業種を答える中でも、『僕の夢はまだ決まってません』と堂々と答えていました。
それでいいと父である僕も思っていました。
今日もいつものように駅まで長男を送りました。
重そうなリュックを片手に慌ただしく信号を渡っていきます。
前途は多難か洋々か。
息子よ。いずれにせよ思う存分迷え。
そう心の中で呟きました。
いってらっしゃい。