【クズだった僕が“中学受験の父”に】息子の才能が僕を変えた話。

30歳。
無職。
貯金ゼロ。

毎日、缶コーヒー片手に「蛍の光」が流れるパチンコ屋を出る。そんな日々。

自分にはもう、何も残っていないと思っていた。
けれど、人生はときどき、思いもよらぬタイミングで物語を始めます。

これは、「父になったこと」で人生が動き出した、
ある男の記録です。

貧乏少年期。どん底スタートがくれた宝物。

僕は、幼い頃から自惚(うぬぼ)れた子供でした。

自分がこの世界の主人公で、
親も、学校の先生も、
友達もみんな脇役。

すべてが僕を中心に動いていて、
最後には僕が、誰よりも幸せになる、
そう信じていました。

ところが現実は、

定職に就かず、麻雀狂いの父と、
鬱病気味の母が喧嘩ばかりの毎日。

貧乏で、友達の誕生日に呼ばれることはあっても、
自分の家には呼べない。
そんな劣等感を抱えていました。

頭でイメージしてる世界とは、
何か違う。

でも、これはきっと神様が、
試練を与えてくれているに違いない。

人生を面白くするために、敢えて、
ドラマのように盛り上げてくれているんだ。

そんな風に考えていました。

ところが、いつまで経っても、
思い描いた日々は訪れません。

欲しいおもちゃは買って貰えないし、
築60年の家はボロ過ぎて、
友達に見られるのが恥ずかしいぐらい。

父は滅多に家に帰って来ず、寂しくて、
玄関の扉がガラッと開くのを、弟と一緒に、
ただ、ひたすら待っている。

たまに父が麻雀から帰って来ると、

「晩御飯のおかずが少ない」
「味付けが薄い」

と、母親を怒鳴りつけ、
茶碗や湯呑を、当たり構わず投げ付ける。

そんなことが日常茶飯事でした。

母はいつも父の愚痴ばかり。

結婚したことへの後悔や、
家計のやり繰りの厳しさを、
ため息交じりにこぼします。

家の中には、いつも、
暗い空気が澱んでいました。

おかしい。こんな筈はない。

僕は運動も出来るし、足も早い。
頭も悪くないのに、
何でこんなに不幸なんだ。

この頃から、どうやら、

自分が主人公ではなさそうと、
薄々勘付いてはいましたが、

だからこそ余計に、
貧乏な家から早く抜け出し、
夢で描いた、カッコイイ人生を送りたい。

父親や母親をはじめ、
周りのみんなから「スゴイ」と思われたい。

そんな気持ちが、
日に日に強くなったのでした。

家を飛び出した20歳。自由と孤独のスタートライン。

中学・高校と、勉強でも、運動部でも、
目立った活躍がなかった僕は、

大学受験という、ビッグイベントを機に、
今度こそ、自分の夢を叶えようと思いました。

夢といっても、〇〇になりたい、
といった具体的なものは何もなく、

とにかく周りから認められたい、
目立ちたい、
すごくなりたい、

というボヤっとしたもの。

常に人の目を気にして、
自意識過剰気味だったのは、

ずっと貧乏だったことの、
トラウマのせいかも知れません。

特に行きたい大学も、
やりたいこともないけれど、
とりあえず、実家から飛び出したい。

父と母の喧嘩を、もう2度と
目の前で見たくない。

そんな思いだけで、
名前だけ聞いたことのある、
実家から遠方の大学を選びました。

「関関同立」と呼ばれる、
関西の私立大学の一角です。

短い期間でしたが、
それなりに勉強も頑張って、

受験には見事合格。

私立の学費と、仕送りが
ネックにはなりましたが、

特に喜んでくれた母親が中心となって、
何とか送り出してくれました。

時代は昭和から平成に変わる頃。

最初に住んだアパートは、
風呂無し、エアコン無し、
トイレとキッチンが、
共同のボロアパート。

描いていた、
夢のキャンパスライフとは程遠い。

母の愚痴を、聞かなくて済むように
なったのは良いけれど、

部屋を友達に見られるのが恥ずかしかった、
実家での暮らしと、何ら変わっていない。

彼女も欲しいし、学生生活を
エンジョイするには、とにかくお金がいる。

入学仕立ての1回生の頃は、
暑い夏を大学の図書館で過ごしたり、

食堂を利用したりして、
つつましい毎日を
過ごしていたのですが、

そのうち、段々とおかしくなります。

自分でも、何でそこまでハマったのか
分からないのですが、

麻雀好きの父親の影響もあったのか、

些細なきっかけから、
パチンコにのめり込んでしまいます。

最初は、大学の授業の合間に
少し寄る程度だったのが、

少し負けると、
その悔しさが忘れられず
取り返すまで通う。

エアコンの効いた、
涼しい場所に座ってるだけで
儲かるほど、パチンコは甘くなく、

有り金の全部を失くすことがほとんど。

たまに少し勝っては、その倍ヤラれ、
何とかお金を工面して、
取り返しにいってまたヤラれ、の繰り返し。

あれよあれよと気付いた時には、
あれほど夢に見た学生生活の大半を、

パチンコに費やしてしまっていました。

憧れだった綺麗なマンションに、
無理矢理引っ越すも、家賃は滞納続き。

せっかく出来た彼女にまで借金をする始末。

頭の中では常に、
パチンコのドラムが回転していて、

子供の頃に持っていた、
ピュアな情熱もすっかり失くしていました。

友人たちとも付き合わなくなり、
苦しくて、辛い思いばかり積み重ね、

あっという間に、
卒業式を迎えてしまいます。

こんなんで卒業なんて絶対無理。
ましてや就職して、
一生サラリーマンだなんて考えられない。

そんな気持ちを抱えたまま、しぶしぶ、
適当に見つけた、出版社に就職しました。

わずか75日で脱走!?リアル逃亡劇の舞台裏。

大学の卒業式を前に、
付き合っていた彼女にフラれ、

絶望した気分を抱え、
学生生活に未練タラタラの僕は、

会社の入社式を迎えても、
まったく気持ちが入りません。

4年間、ぬるま湯に浸かりきったせいか、
朝礼の社訓十訓を、全員が
大声で読む儀式に驚愕。

これじゃまるで軍隊じゃないか。

後から分かったことですが、
大した就活もせずに
簡単に入れたその出版社は、

自社の高額の知育教材を、
訪問販売するブラック企業として有名でした。

それでも真面目に働けば、
何らかの活路は見出せたろうに、

朝礼の度に腰が引け、
営業に出ても、
まるでやる気になれず、

公園やマクドナルドで、
ただただ、時間を浪費する日々。

結局、4月に入社して6月の半ば、
僅か2カ月半で、社会人生活に
アッサリと終止符を打ちました。

最後は上司や同僚に罵られ、
住んでいた社員寮からも即刻追い出され、

逃げるように荷物をまとめて、
高校時代の親友宅へ駆け込みました。

あの時、親友が近くにいなかったらと思うと、
ぞっとします。

それからどうしたかというと、
学生の時に住んでいた街に戻り、

事もあろうに、メジャーデビューを目指して、
バンド活動をすることになりました。

一発逆転を夢見て。ギャンブルとロック、迷走の日々。

大学ではもともと、
軽音楽系のサークルに入っていました。

ビートルズやローリングストーンズにかぶれ、
大きな影響を受け、

パチンコに夢中だったために、
中途半端ではありましたが、

バンドを組んで、
時おりライブもしていました。

そうこうしてるうちに、

どうにもならない現実に、
いつの間にか、歌を作って歌うことが、
唯一の心の拠り所になります。

僕が作る、リアリティのあり過ぎる
詞やメロディは、

パチンコで負け続け、
借金だらけなことを知っている、
多くの仲間から面白がられ、

うっかり自分には才能がある、
と思い込んでしまったのですね。

何となく自分が進むべき方向性を、
見つけたような気もしていました。

でも、本当にその道でプロになるという、
自身と覚悟があった訳でもなく、
サラリーマンから逃げるための口実と、

いろいろとうまくいかなかった過去を、

有名になって一気に取り返したい。
周りの友達を見返したい。
という子供の頃からの自己顕示欲と、

相変わらずのギャンブル思考が
働いたのだと思います。

案の定、

バンド練習やアルバイトの間に、
時間さえあればパチンコに出掛け、

負ける金額もますます大きくなり、
奈落の底へ落ちてゆくような
感覚がありました。

バンド活動の方は凄腕の仲間と出会い、
ライブのたびに多くのお客さんが来てくれたり、
レコード会社にCDを作って貰えたり、

粘り強くやれば何とかなったのかも
という瞬間もありましたが、

そもそもが消去法の選択だったので、
肝心なところで堪え性がないというか、

メンバー間でのコミュニケーションとか、
創作活動とか、

ちょっとうまくいかないことがあると、
すぐパチンコに現実逃避していました。

これといった成果も出ないままに、
どんどん年を取っていく。

お金がなくアルバイトに追われてるうちに、
いったい自分は何がしたいのかが見えなくなり、

やり切れない思いは、
すべてパチンコにぶつけられる。

6~7年の間、夢を追いかけて走り続けましたが、
気が付けば30歳近く。

そのままフリーターを続けるには、
メンタルが限界に近付いていました。

何でもいいから、
とにかくお金に困らない生活がしたい。
普通の人と、同じような毎日が送りたい。

そんな思いが日に日に充満して、
ある時を境に、

ついにすべてを投げ出してしまいました。

その間に、鬱病が悪化した母は亡くなり、
会社を辞めた頃にお世話になった友人も、

何の恩返しも出来ないままに病気で亡くし、
消費者金融から僕が借りたお金は、
何百万と膨れ上がり、

返せるアテもなく、ただ、
パチンコとお酒の量だけが増えていきます。

バンドは自然消滅。

常にお金に困り、
地面に財布が落ちていないかと、
ただひたすら下を見て、

駅の雑踏の中を徘徊したり、
パチンコ屋に落ちている玉を、
1個1個拾い集めたりと、

すべてが自業自得とはいえ、
あの頃がまさにどん底でした。

正社員デビューと電撃婚。人生が動き出した瞬間。

もういい。
何だかとても疲れてしまった。

多くを望まず、とにかく、
その日を普通に生きられるようにしよう。

当時働かせて貰っていた
バイト先の飲食店で、
誘われるがままに、

人生で2度目の正社員になりました。

一方で、バンド活動の傍ら、
2年程付き合っていた女性がいました。

彼女は僕の夢とか生き方とか、
まるで意に介さないかのように、

ただ一緒にパチンコに行ったり、
お酒に付き合ってくれたりしました。

借金はなかなか減りませんでしたが、
それでも徐々に生活は安定。

なかなか夢を捨てきれず、
ライブハウスで1人で歌うこともありましたが、

地に足を付けた生活をしようと、
ちゃんと仕事も頑張りました。

そして34歳で結婚。

妻は3年後に男の子を出産しました。

自分がいっぱしの家庭を持てるなんて、
少し前までは考えられないことで、

初めて分娩室で息子の姿を見た時は、
自分でも信じられないぐらい、涙が止まらず、

息子の小さな手を握りながら、
まるでダムの水が一斉に放出されるように、
いつまでも泣いていました。

我が子に向かって、

「自分がパパでごめんね」と、
何度も謝っていたのを覚えています。

その頃から少しずつ、

本当に自分らしい自分に
戻っていった気がします。

夢とかは、もうどうでもいい。
これからは家族のためだけに生きよう。

息子や妻と毎日触れ合ううちに、
いろんなものへの執着が消えていき、

すると、不思議と人生が好転し始めました。

仕事ではどんどん成果が上がり、
収入も増えていきます。

いつしか借金は完済し終え、
家族で一緒の食卓を囲んだり、
公園を散歩したり、

当たり前のことが、こんなにも愛おしく、
貴重なことだったのだと実感しました。

そして3年後には長女を、
さらに5年後には次男を授かります。

30歳の夜明け。家族がくれた“奇跡”のリスタート。

子供たちがグングン成長するのを
近くで見るのは、

それはそれは幸せで楽しいものでした。

かといって、
全てが順風満帆だったわけではありません。

会社内での派閥争いに巻き込まれ、
身も心も疲弊したり、

元がギャンブル体質なので、
株式投資で大失敗したり、
多くの波乱もありました。

夫婦関係がギクシャクすることもあったし、
反抗期や思春期、小学校受験などを通して、

子供たちと衝突することも、
もちろんありました。

家族をずっと養っていけるのか、という不安、
仕事に関しての悩みは、
今もまだ尽きることはありません。

それでも、

大きく道を踏み外さなかったのは、
若い頃に散々苦しんだ経験があったから。

家族の温もりが、
いつも僕を癒してくれたから。

そして遂に、信じられないことが起きたのです。

息子が中学受験に挑戦し、
見事憧れの中学に合格しました。

その中学とは、国内でも屈指と言われる
関西の超進学校。

テレビや雑誌などで、
何度もその名を耳にし、

毎年卒業生の多くが、
東京大学に入る。

その名を聞けば誰もがおののく、
中高一貫の男子校。

長男が低学年の頃に、
一緒に文化祭を見に行って以来
大ファンになり、

受験することが、
大きな目標となっていました。

併願校の受験があった長男と、
付き添った妻の代わりに、

家族の代表として、
合格発表を見に行った僕は、

我が子の受験番号を見つけた瞬間に、
倒れ込むようにして、
体育館のトイレに駆け込み号泣。

まさか自分の子供が、
こんな偉業を成すなんて。

今までの何十年分の苦労が、
全部帳消しになるぐらいの感動で、

トイレットペーパーが、
丸ごと1本なくなるまで泣きました。

父として生まれ変わる。価値観オールリセット宣言。

その日以来、
僕は明らかに変わりました。

通学するのに片道2時間かかる長男を、
6年間可能な限り、毎朝最寄り駅まで送ることを決意。

5時台、まだ街が薄墨色のうちに、
エンジンをかけ、ハンドルを握りしめる。

“朝一番で長男の背中を押す”

僕にできる唯一の貢献に思えました。

同じく中学受験をする長女や次男を、
妻と共にサポート。

何も中学受験をして、
良い学校へ行くことだけが、
すべてだと思っていたわけではありません。

ただ、自分がもっと輝けたはずの中高時代。

大学生活から就職まで、
失敗だらけだった自分と同じ経験を、
子供たちにはして欲しくないという気持ちがありました。

長男を通じて触れる、
トップ校の雰囲気は格別でした。

各エリアの超優秀層が一堂に会して、
新たな化学反応が生まれる。

自由で多様性に溢れ、
生徒に柔軟さと自主性を求める校風には、
大人でも惹かれました。

息子以上の、想像を超える賢い子が、
ゴロゴロひしめいている。

文化祭や授業参観のたびに、
見渡す景色は別世界で、

閉店間際に「蛍の光」が流れ、
たばこの煙で充満していたパチンコ屋とは、
天国と地獄ほどの差。

そこには無限の刺激があり、
我が子もその輪の中にいる。

ピンと背筋が伸びるだけでなく、
「まだ遅くない、自分も成長できる」
と本気で思えました。

絶望的だと思っていた人生に、
いつのまにか眩しい光が射している。

それは、子どもたちが差し出してくれた“ステージ”で、
僕自身が立ち直った証し。

  • 過去の自分と同じ轍を踏ませない
  • 子どもを介して自分も再成長する
  • 家族で“挑戦の物語”を共有する

この三本柱が、父のリスタートを支える羅針盤。

今では、子供の頃からずっと苦しんできたことさえも、
すべて伏線だった気さえします。

やがて長女の方は、何より女の子ということで、
安全面に重きを置き、家から30分ほどで通える超管理型の第一志望校に合格。

次男は憧れである優しい兄を目指して、
現在頑張っているところ。

兄弟それぞれの歩みが、父の価値観を刻一刻と、
アップデートさせてくれているのです。

長男からの贈り物。中学受験が教えてくれたこと。

長男は僕に夢のような6年間と、
別の大きな”贈り物”をくれました。

それは自分が”この先も生きていける”という、
「人生の軸」です。

今、僕は子供たちと過ごす
日々の記録を情報発信しています。

ろくでもない父親の息子が、
どうしてトップレベルの中学に合格できたのか。

生まれた子がたまたま賢かっただけ、
と当初は思っていましたが、

決してそれだけではない、と徐々に

気付き始めました。

  • 子どもとの適正な距離感
  • 家庭が作る温かな空気感
  • 主導権を子どもに渡す、小さな選択の積み重ね

単なる偶然や運じゃなく、むしろ“親としての関わり方”にこそ、答えがあったのです。

親に特段の学歴がなくたって、無知だっていい。
子どもに向ける”視線のあり方”がすべて。

良いテキストに頼ったり、
有名な塾に通わせることはさして重要ではない。

長男の受験がきっかけで、
たくさんの保護者と出会いました。
その中で、

「合格する家庭」と「伸び悩む家庭」
の違いが少しずつわかってきました。

合格した子どもの背景には、
いつもあたたかく、でも軸のある家庭があります。

逆に、成績ばかりに目を向けすぎて、子どもが本来の力を出せなくなっている家庭も少なくないです。

だからこそ、自分にしか語れないことがある。

不器用でも「伴走しよう」と決めた親の視点から、
伝えられることがあると思ったのです。

もちろん本職は続けながら、でも、もっと「心が燃える仕事」もしたい。ずっとそう考えてきました。

辛く、苦しい中学受験でも、後から振り返った時に、
あんなに濃密で、頑張った時期はないと、

胸を張って言えるような、一生の御守りにして欲しい。
そんな思いが今の僕を突き動かしています。

子どもが変わると、親も変わる。仲間がいるともっと変われる。

長男の受験をきっかけに、僕は人生を立て直しました。

家族の関わり方を見直し、親として学び直し、
自分自身の“生きる軸”に出会えました。

そして今、その経験を、たったひとりで抱えておくのは、もったいないと思うようになりました。

▼家庭の中だけで、頑張りすぎないでほしい

中学受験って、どうしても“孤独”との戦いになりがちです。
情報も不安もあふれる中で、我が子の未来を預かる。

笑いながら泣いて、前を向いて、でも誰にも話せない。
そんな親御さんたちに、「ここでなら話せる」場所を作りたかったのです。

▼少人数だからこそ、心が通う

現在、僕が運営している無料のコミュニティには、20人前後の親御さんが参加しています。

人数を増やすことより、
「安心して話せること」と「互いに学び合えること」
を大切にしています。

志望校のレベルも、子どものタイプも、家庭のスタンスも、みんなバラバラ。

でも、だからこそ「一緒に考える」「ときに立ち止まる」「やさしい抑止力になれる」。

そんな空気が、じわじわと広がっている場所です。

▼共通しているのは、“子どもの心を守りたい”という願い
  • 志望校に届くかどうかよりも
  • 偏差値が上がるかどうかよりも

「この子が自分を好きでいられること」
その価値を、いちばんにしたい。

そんな想いに共感してくださる方とだけ、静かに輪を広げていけたらと思っています。

▼最後に、ほんの少しだけお願い

このプロフィールを、ここまで読んでくださった方へ。

僕がこの言葉を届けられたこと、
それ自体が、もうすでに感謝でいっぱいです。

もしほんの少しでも、
「自分も、子どもも、もっと自然体で受験期を過ごしたい」
そう思ってくださったなら。

そっと扉をノックしてみてください。
ゆっくりで大丈夫です。無理に背伸びしなくていい。

この小さな場所が、あなたの家庭の“安心のひとつ”になれたら嬉しいです。

「不安に振り回されない中学受験」を、一緒に目指してみませんか?

少人数制・寄り添い型の親コミュニティ、
詳しくは画像をタップ👇

 

以上、最後までありがとうございました。

2024年9月
そらまめ隊長